横好きオヤジの見聞録

何をやっても二流か三流で一流にはなれない下手の横好きなオヤジの日記

無念・・・

昨日から従兄弟の葬儀のために職場に無理を言って休みを貰い奈良に

行っていた。

我が家を実家とする大阪の伯母の1人っ子で、数年前に奈良に家を立て、

嫁さん1人と8歳の娘が1人。

学年こそ私よりも一つ下だが、誕生日は数ヶ月しか違わない齢45歳。

子どもの頃、夏休みには兄弟のように遊んだ。

朝の5時頃に起きてカブトムシやクワガタを捕りに行った。

こんな私を慕ってくれた。

1年半前に病魔に襲われ闘病生活。

今年の1月には、本人も医師も家族も誰もが完治と思えるほど元気になっていて、

自分の家族と友人家族で神鍋でのスキーと城崎温泉に来ていたらしい。

その後、再び病魔が悪さを始めた。

ただ、入院していると聞いたのは半月ほど前だった。

心配かけるからと、伯母にも言っていなかったらしい。

慌てて奈良の某病院に駆けつけると、治療の副作用で髪の毛は抜け落ち、

見る影もないほど痩せこけ、呼吸が困難な状況にあり、話をしていても何を

言っているのかも分からず、私は涙を堪え「うんうん」と頷くだけだった。

奥さんの話によると、最期の最期まで「ダメだ」とか「苦しい」とか、一度も弱音を

吐かなかったらしい。

四輪駆動車が好きで、バイクが好きで、海が好きで、山が好きで、音楽が好きで、

スキーが好きで、色んなことに詳しくて、背が高くて、逞しい体をしていて、

サングラスをかけて街を歩けば怖い人に見えるような風貌。

だけど気が優しくて、笑顔が素敵で、家族思いで、世話好きで、友人が多くて、

我が従兄弟ながら非の打ち所がないと思える人間だった。

そして驚いたのが通夜と葬儀に参列してくださった人の数。

友人が多いとは聞いていたが、葬儀場に溢れかえる人。

延々と続く焼香の行列、そして号泣。

決して、形だけで参列した人達じゃなかった。

従兄弟の友人が生駒駅でタクシーに乗ると、行き先を告げる前に運転手さんから

 「○○さんのとこですね、葬儀場がエライことになってますよ!」

と言われたらしい。

生駒駅で、誰の葬式があるのかと騒然となっていたんだとか・・・。

一体、お前はどんな生き方をしていたんだ?

友人からの弔辞で初めて知った。

誰かが困って、助けを求められれば夜でもバイクでカッ飛んで駆け付けていたこと。

決して人の悪口を言わずに、仕事でトラブルになっても「アイツも良いところが

あるからなぁ~」と間に入って事を治めていたこと。

見舞いに行っても自分の病気のことは放っておいて、人の心配ばっかりしていたこと。

医師や看護士さんに「有り難う、有り難う」ばっかり言っていたこと。

泣き言を言ったことがなかったこと。

人の悪口や不平不満を言ったことがなかったこと。

怒ったところを見たことがなかったこと。

弔笛として友人により従兄弟が愛用していたサックスを使って演奏された。

そう言えば、高校生の頃、一緒にギターを弾いたよなぁ・・・。

喪主である奥さんが、挨拶で

「家の中でも、私がする普通のことに『有り難うと』言ってくれました。

ある大雨の日に配達された新聞がビショビショに濡れていた時、

濡れてしまった新聞やそれを配達した人に不満を言うことなく

『大雨の中を配達してくれたんやなぁ~、有り難いなぁ~!』と

言っていました。そんな人でした。」

と言っていた。

ある人が、大阪の芸能人の葬式でも、これだけの参列者を見たことがないと

言っていた。

今になって知る従兄弟の生き様。

私も、お前のような生き方をしたい。

しなければいけない。

無理かもしれないが、これだけの人に泣いてもらえる最期を迎えられるような

人間になりたいと思った。

ただ、8歳の娘には、まだまだお前が教えてやらなければならないことがある。

せめて逝くのが10年後なら・・・。

ただただ、ただただ無念。

この日本で自ら命を絶つ人は3万人を超える。

頼む、粗末に命を捨てるなら、壮絶な状態になりながらも、弱音を吐かずに

生きようとする者に命をくれ!