横好きオヤジの見聞録

何をやっても二流か三流で一流にはなれない下手の横好きなオヤジの日記

決して、カブオタではないっ!

スキー友達のKさんちからカブを持ち帰った。

少し前から、処分したいんで持って帰ってほしいと言われてた。

カブは既に1台持ってるんだけど・・・。

ってか、近日中に他にも2台が入ってくる予定なので、カブが4台になってしまう。

決して、カブオタではない。

ま、カブなら欲しい人もいるだろうし、実際に同僚からも頼まれてるから、

整備して良い状態にしたら嫁に出そうと思っている。

嫁に行きそこなったらカスタムベースにでもしてやろう。

グーグル先生で「カブ インドネシア」を画像検索してもらったら、なかなか素敵な

カスタム・カブが出てくる。

ちなみに、インドネシアは親近感がある。

理由は、その昔、日本が大東亜共栄圏構想を掲げヨーロッパの複数国に植民地に

されていた東南アジアの国々を解放するために南進していた頃。

私の母方の祖父は、インドネシアのジャワ島で商売をしていた(らしい)。

かなりの規模だったらしく、現地の人を大量に雇用し、もちろん多くの家政婦さんも

雇っていたらしい。

今風で言うホームパーティーも、よくやってたらしく、その時には現地では最高級の

牛の頭がデデ~ンと乗った料理が目の前に出て、祖母は戸惑っていたとか・・・。

とにかく、当時の日本はインドネシアも統治していたが、現地の人たちは、植民地から

解放して、きちんとした報酬を払い雇用し、人を人として接する日本人を大歓迎して

くれてたらしい。

そして、私の母も、そんなジャワ島で生まれている。

そんな祖父も、どこでどう言う知り合いだったかしれないが、第二次世界大戦後に

総理大臣になった吉田茂から「日本は、もう負けるから日本に帰ってきてほしい」と

懇願されて、惜しみながら惜しまれながら帰国したらしい。

そして、日本は敗戦国に・・・。

祖父は、子供らに金を残す気はなかったようで、持ち帰った財産は全て寄付した。

市内の某小学校を、仲の良かった後に市長になった某財閥と金を出し合って

作ったと言うのは、一部ではあるが語り継がれてはいる。

今でも、トラの剥製だか敷物だとか、ニシキヘビのホルマリン漬けだとかの

貴重なものも寄付したとか言ってた。

今もあるんかねぇ~?

今も、伯父達が「少しは残してくれとったら、ワシらもボンボンだったのに」と言う。

ん~、せめて、私の母に隠し財産を残してくれてたら、私もお坊ちゃま君だったかも?

母は、もう30年ほど前に亡くなってしまったが、子供の頃に暮らしたジャワ島の頃の

思い出をよく話してくれたし、生きてる伯父達もよく話してくれる。

そんなこともあって、インドネシアには親近感がある。

いつか、母の生まれたジャワ島に行ってみたいと思う。

で、その昔、私が20歳の頃にカブをフルカスタムしたことがある。

エンジンは、それまで乗っていたシャリーのフルカスタムした85㏄、高圧縮、

ハイカム。ビッグバルブ、オイルクーラー、ビッグキャブ、4速ミッションの

エンジンを積んだもの。

他にも、XS250SPと言う超絶不細工なアメリカンバイクを、リジットのロング化した

フレームにして、更に配線も全てフレームに入れてキャンディーレッドに塗って、

エンジンは、XS400Eのを積んでハイパワー化したドラッグレーサー風のも作った。

なので、今でもと言うか、今の方が画像検索で出てくるカスタム・カブより、もっと

凄いカブを作る自信がある。

ターボチャージャーなんかを付けたりしたドラッグレーサー風カブ。

ま、多分、しないけどねぇ~。

カブオタじゃないから、カブばっかり持ってても邪魔になるし・・・。

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んで、その後は田んぼのカスタム。

じゃなくて、代掻き前の最後の耕耘。

こないだ肥料を撒いてから雨が降ってしたため放置してた。

トラクターでガガがッと耕耘。

そう言えば、世間はゴールデンウィークなんだなぁ~?

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