横好きオヤジの見聞録

何をやっても二流か三流で一流にはなれない下手の横好きなオヤジの日記

ドナドナド~ナァ~ドォ~T_T

今日、長い間、連れ添ってくれたハイラックス君にサヨナラした。

手に入れた時の状態は酷かった。

車高は無駄に高く、下周りの錆は酷く、まともに使えるようなものじゃなかった。

足回りを全て外して、新たに部品を調達して車高を下げた。

下にブルーシートを敷き、バイクのヘルメットをかぶってサンドブラスト

掛けかまくって錆を落とした。

フロントはエンジンこそ下ろさなかったが、全てと言って良いほど外して

整備して組みなおした。

手に入れてから車検を受けられるまで3ヶ月以上掛かった。

その後は海に山に畑に田んぼにと、いつも一緒だった。

特に、平成16年に当地を襲った台風23号で職場の横を流れる川の堤防が決壊して

職場も被災して業務用車両が動かせなくなり、私のハイラックス君も含めて

職員の車が全て濁流に瓦礫と共に押し流された。

瓦礫の山の上のハイラックス君のエンジンを掛けると何事もなかったように始動。

タイヤハウスやエンジンルームに詰まった草や木を手で掻き出し、瓦礫の山から

ロッククローリングの如く脱出させた。

そして、同僚を荷台に積んで真っ暗闇の水の中を走った。

某小学校に手漕ぎボートがあると聞いて取りに行った。

あの時、ハイラックス君の活躍がなかったら、流木に摑まり助けを待っていた

男性はどうなっていただろう・・・。

台風が去り普通の生活に戻ってから、内装を全て外して室内に流れ込んだ

泥を水洗いして、完全乾燥させるために運転席一つだけで1ヶ月くらい乗った。

前後デフにも水が入り、デフオイルが混濁したため全交換した。

ただ、今でも同僚が付けたアシストグリップ周りの泥は落としていない。

落とすことが出来ない思い出なのである。

なんせ、たまたま繋がった家への電話で、家族に「生きて帰れないかも・・・」と

念のために別れの挨拶をしたほどだったから。

そんな昭和61年式のハイラックス君の傷みは酷くなり、壊れたエアコンを

修理するには諭吉さんが10人以上必要となり、ボディは指先で押すと

ボソボソと穴が開くまでになってしまった。

さすがに使用に耐え難くなり手放すことにした。

同じようなトラックを探したが、既に日本国内に存在するトラックは少なくなり、

あっても価格は驚くほど高額。

もちろん、メーカーからは国内向けに販売していない。

で、仕方なしに軽トラックにした。

新しい相棒は、スズキのキャリイ。

今まで、ハイラックス君が居た場所にキャリイ君。

これはこれで、ウキウキもする。

でも、積車で運ばれて行くハイラックス君を見ると涙がこぼれそうになった。

空き地に置いたままで土に帰らせることも出来るのだが、新たな地で

活躍することを願って手放した。

恐らく、遥か海の向こうの大地を走ることになるだろう。

ドナドナドナドナァ~、ドナドナドナァ~ドォ~T_T

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