月曜日から職場を離れ、いつもの配達先(不謹慎な表現で失礼)に
年に一度の8日間修行に行っている。
月曜日に始まって、今日が初めての休み。
見慣れているとは言え、そこに朝から晩まで身を置くと、まるで
針の筵に寝ているよう。
3日目くらいからは楽になってきたけど、物凄く気疲れしてしまう。
ハハ、私って繊細だったんだ・・・。
で、規則正しい夜には帰宅する生活なんだけど、それはそれで、
毎夜毎夜、何かしらの用事があって、睡眠以外の自由時間は
ほとんどない毎日。
今日も朝から出石で開催された剣道大会の審判で参加した、
うちの団体の小学生も、この大会に出場するはずだった。
しか~し、子ども会行事やら体調不良などで、団体戦の
メンバーを揃えることが出来なくなり欠場した。
一つでも多くの試合に出してやりたいけど仕方ない・・・。
ってなわけで、私は責任出席。
ここ8日間の修行中の唯一の休みに審判。
修行でも憂鬱ではあるが、審判するのは、それ以上に憂鬱。
自分自身では、大きな過ちはなかったと思っているが、
あそこで反則を取っていた方が良かったかなとか、最初に
引き技を辛くしたから、最後まで辛くせざるを得なかったとかの
反省がある。
今夜も憂鬱な夜だ・・・。
明日と朝っても修行だが、その憂鬱さと比べたら、今日の憂鬱は
それよりも大きい。
子どもらの勝敗を決定するのは辛い以外にない。
あと何十年、この憂鬱を経験するのだろう。
フェンシングみたいに電気で判定できれば良いんだろうけど、
心技体一致で判定する剣道は難しい。
これが、剣道経験者でないと審判が出来ないと言われる
所以なんだろう。
私は、胸を張れるほどの経験もないが・・・。
ま、憂鬱にならなくなったり、自分の審判に満足したり、
自分は出来る人間だと思った時が、人間として
終わりの時だろう。
今夜もこうして悩を抱えているのは、まだ生きていても
良いと言うことなのかもしれない。
うん、これからも憂鬱に悩みながら生きて行こう。
憂鬱を忘れた時は人間としての終わりの時かもしれない。