今日は地区の地蔵盆祭り。
地区役員の関係で、私が全て段取りして片付けもしなきゃんないから、同僚に無理を言って
休みを代わってもらった。
そして、この祭りで飾っている灯篭飾りの保存活動を中心になってやってるもんだから、
休みを代わってもらえたのは有難かった。
ただ、今年は仕事の関係で自分の時間が作れなかったから、保存会の活動が早い時期から
出来ず、7月になってからだったんで、灯篭の痛んでいる部分しか作り直せなかった。
飾ってみると、やっぱりショボイ。
来年こそは、全てを作り直して飾りたい。
昔は、全てを子供らが作り飾り付けをし、翌日には川に行って木枠以外を洗い流していた。
一種の精神修養だったのかもしれない。
堂の周りの草刈りと草取りをして、堂の掃除と飾り付ける。
その後、地区の人々がお参りし、話に花を咲かせる。
そして、3時間後には終了。
僅か、3時間ほどの小さな小さな地区の祭りのために、数ヶ月をかけて準備をする。
大したものではないが、伝統を次世代に伝えるために続けるのである。
伝統があってこそ、未来が続く。
未来を作るために伝統を残す。
伝統も未来もなければ、まずは伝統を作り始めることが必要だとは思う。
ただ、そもそも、伝統と言われているものは、伝統にしようと始まったものなんて
ないんだと思う。
思い付きで始めたことが伝統になっているだけ。
我が地区の灯篭飾りを始めとした祭りも、全ては思い付きだったと思う。
それでも、これを守ることは、今の小学生が大人になった時に「子供の頃に
あんなことしたな」って記憶を作ることになる。
その記憶が大切なのである。
そして、その内の1人でも技術を伝承してくれれば、それが伝統の継承となる。
数時間のために数ヶ月どころではない。
僅かの記憶のために数十年なのである。