今年の春からボケが始まり、しかも医師が驚くくらい急激に進んだ父の介護。
仕事のこともあってデーサービスでは無理で、ショートステイにお願いしてて、
休みの時に家で看るようにしている。
ショートステイも年間使用日数に限度があるし、今でさえ月に十数万円の費用が
掛かってるから、休みの日に家で看ないと、他の者の生活が成り立たなくなる。
なので、私の休みは全力で父の介護に当ててて、自由な時間は仕事から帰った日だけ。
そして、ここんところ昼夜逆転してきてるのと、満腹中枢が壊れて食べたことも忘れ
満腹感も感じることがないんで、夜中の1時とかに「オハヨォー!」と元気に
起きてきたりとか、コソっと起きてきて冷蔵庫を開けて冷凍食品とかでも
お構いなしに食べてしまう。
さすがに、それをやられると困るんで、少し前に部屋のドアノブを交換して
廊下から鍵を掛けられるようにした。
ま、鍵を掛けからと言って大人しくなるはずもなく、ドアが壊れるんかと思うほど
暴れるんで、それで気が付いて対応するって感じ。
とにかく、知らぬ間に部屋から出られて冷蔵庫を荒らされたり、寒い時期でもあるんで
屋外で凍死でもされたら困る。
自然死する分には構わないんだけど、事故死だけは避けてやりたいからねぇ~。
で、ドアノブを交換する時には胸が痛かった。
親を部屋に閉じ込めるなんてしたくはない。
そして、思うのである。
25年ほどしたら、今度は私自身がこの部屋に鍵を掛けられて閉じ込められる日が
来るのかなと・・・。
遺伝子は嘘をつかないんで必ずボケる。
ん~、今の内に独居房みたいなボケた自分専用の建物でも作っておこうか?
ボケずに最期を迎えられる高齢者は素晴らしいと思う。
しかし、私はボケて迷惑を掛けながら生きながらえる高齢者になりたくない。
そんな長生きは罪だと思う。
介護に疲れた介護者による要介護者殺人をしてしまう人の気持ちが分かる。
死んでくれてたら、どんなに楽になるだろう。
今はまだ頑張っていられるけど、限界が来たら殺すかもしれない。
そんなことを思う今日この頃である。
私は、ボケる前に死にたい。
幸いにして、我が家は父方も母方も癌家系で、特に母方は短命。
父も、2度ほど癌の手術をしている。
それで完治しちゃったから、元気なボケ老人の完成となってしまったのである。
だから、私も近い将来、癌にはなるだろう。
でも、病気とは戦わない。
それを乗り越えてしまうと、ボケ老人になってしまう可能性が高いから。
ボケを直さずに寿命を延ばす医療は正しいのだろうか?
確かに、医療の提供にボケを加味するなんて、医師が出来るものじゃない。
なので、自身に寿命を決める権利があるべきだと思う。
私は、ボケる前に計画的に寿命を終わらせたと思うのである。
とは言え、自殺や事故は家族に迷惑かけるし、上手いこと病気になれれば良いけど、
それは難しいから、絶食での衰弱死が最良かもねぇ~。
そんなことを思いながら付けた鍵なのである。